私は途方に暮れていた。 ここはスペインの北西部のガリシア地方に位置する巡礼の町、サンチャゴ・デ・コンポステーラ。 「カトリック三大聖地の1つ」といううたい文句に心惹かれ、わざわざやって来てみたはいいものの、この町は想像していたよりもずっと小さかった。わずか半日で、見たかったものをあらかた見尽くしてしまったのだ。 小さくても、雰囲気さえ良ければ、もう半日かそこらは、ゆっくりそぞろ歩きを楽しんでみようかという気にもなるのだが、時期(8月)が悪かったのか、この町には妙に場末っぽいムードが漂っていて、どうも気分が盛り上がらない。こんなときに限って、明日のマドリッド行きの夜行を、手回しよく手配してしまってある。あと丸1日を、ここでどうやって過ごせばいいのだろう? ぼやぼや歩いているうちに、ホテルに着いてしまった。
ホテルに入り、まだ 考えあぐねている私の目にとまったのは、フロントの壁に貼られた手書きの掲示だった。「バスツアーの予約を受け付けます」と書かれている。「これだ!」と思って、フロントの人に、「このバスツアーのパンフレットはあるか?」と、ジェスチャー混じりで尋ねてみる。 手渡されたのは、カラー写真の入った、思いのほか豪華なパンフレットだった。スペイン語の説明と、その英語訳が付いている。行き先は曜日ごとに異なり、明日のツアーは「ポルトガル」行きだ。これはついている。「スペイン旅行のついでに、ポルトガルにも足を伸ばしてきたのよ」と自慢できるではないか。私は大喜びで、そのツアーに申し込んだ。 |
翌朝目覚めると、サンチャゴの町は深い霧に包まれていた。真夏のスペインで、こんな情景に出会うことがあろうとは、予想だにしていなかった私は、目を見張り、窓の外を見つめた。 ホテルをチェックアウトし、カテドラルの目の前にある、ホテル・レイエス・カトリコスの玄関前でバスを待つ。このホテルは数あるパラドール(スペイン国営の高級ホテル)の中でも、特に格式が高くて有名なものの1つである。いつかこういうホテルを泊まり歩く旅をしてみたいものだけれど、そもそもこういうところは、カップルで泊まるべきなのである。いつまでもこんな一人旅ばかりしていてはいけないなぁ・・・などと、しょうもないことを考えながら、バスを待ち続ける。相変わらず霧は晴れない。こうして待っている間にも、霧が衣服を湿らせてしまう。でも、ムードは決して悪くない。
バスは定刻の9時10分にやってきた。すでにいくつかのホテルをまわってきているので、車内は満席に近い。ガイドは若い女性で、なかなかの美人だ。とてもゆっくりした、わかりやすい英語を話す。 このツアーは、途中からシエス島に行くグループと、ポルトガルに行くグループとに分かれることになる。シエス島に行きたい人は、バスを降りてから、自分でフェリーに乗り、島で遊び、自分で戻ってきてこのバスにピックアップしてもらう。ポルトガルに行くのなら、ずっとバスに乗っていればいい。 乗客が揃ったところを見計らい、ガイドは1人1人にどちらのコースを希望するかを、訊いてまわった。私は予定通りポルトガルを選んだ。他の人たちの答えを聞いていると、ポルトガルが8、シエス島が2、といった割合だった。それにしても、「ポルトガル」という漠然とした言い方は何なんだろう? ポルトガルと言っても広うござんす。いったいポルトガルのどこに行くのだろう? このツアーの目玉の1つは、海岸巡りだった。このあたりの深く切れ込んだ入江は「リア」と呼ばれ、その複数形は「リアス」である。そう、誰でも知っている地理用語「リアス式海岸」の語源は、この地方の海岸なのだ。 期待に胸をふくらませて、車窓の外を眺める私は、そのうちに「なあんだ」とがっかりすることになる。私の目に映ったのはどれも、日本でよく見られる、ごく普通の海岸に過ぎなかった。今さらながらに、我が母国には美しい海岸線が掃いて捨てるほどあるのだということを、思い知った。 地理学の専門家ならいざ知らず、フツーの日本人が、わざわざリアス式海岸だけを見るために、スペインくんだりにまで来る必要はないと思う。 もっとも、興が載らなかったのは、天候のせいもあるだろう。今朝、サンチャゴの町をおおっていた深い霧の名残が、いつまでも海岸に漂っていて、眺望をさえぎり続けていたからだ。 やがて、バスはビーゴという港町に到着した。大きな町だが、旧市街は猫の額ほどしかない。バスで隣り合わせたイギリス人の老婦人と、小さなカテドラルを覗き、余った時間をカフェで過ごした。 彼女のご主人は、長いこと商売をやっていたそうだが、そろそろ会社をたたむことに決め、老後をコスタ・デル・ソルで過ごすことにしたのだそうだ。彼女はご主人より一足先にスペイン入りし、定住の準備をしているのだという。話には聞いていたが、世の中には本当にそういう優雅な余生を送る人々がいるのだなあと、うらやましくなってしまう。 |
再びバスで出発する。いまだに霧は晴れない。 この提案に反対する人はなく、この後、バスはまっすぐポルトガルに行くことになった。 やがて、バスは川を渡った。御茶ノ水あたりの神田川くらいの幅(←超ローカルな喩えで申し訳ありません)のこの川が、ポルトガル国境だった。 ポルトガルに入ると、空気がなんとなく柔らかくなったような気がした。さっきまでいたスペインだって、けっこうな田舎だったが、ポルトガルの田舎度はさらに高い。タイムマシンに乗って過去にさかのぼったような感じさえする。
国境からものの100メートルも行ったか行かないかというところにある、ヴァレンサという村に、バスは入った。その昔、交通の要衝として栄えていたというこの村は、現在は商店街(というより、商店「村」かも)として生き延びている。 ガイドの説明を聞きながら、私は奇妙な気分にとらわれていた。確か、前もこんなことがあったなあ。
それはちょうど1年前のことだった。スペイン国境に近いフランスの町、バイヨンヌ発のバスツアーに乗ったのだが、そのときも、スペイン国境の小川を渡ったとたんにスーパーがあり、フランス人観光客たちが精力的に買い出しをしていた。フランスとスペイン、そして、スペインとポルトガルの間の経済格差。それが生み出す人々の流れ。地球上には同じような状況が、無数に存在するのだろう。
さきほどのイギリス人女性と一緒に、店を見て廻った。陶器やクロス類が豊富だ。デザインは素朴で温かみがあり、いかにもポルトガルという感じがする。繊細さや都会的なスマートさを求める向きには、物足りないかもしれないが、カントリー調が好きな人には、たまらなく魅力的だろう。 買い物の後は、いよいよ待ちに待った昼食である。 バスが向かったのは、「リド」という、立派だが、ありがちな名前のレストランだった。それは、のどかな田園風景と言えば聞こえはいいが、要するに、なあんにもないただの田舎の真ん中に、ぽつんと建った一軒家である。一歩店内に入ると、その床には水槽が組み込まれ、錦鯉ならぬ小さな金魚が数匹、ちょろちょろと泳いでいた。豪勢な店名にふさわしいものであろうとする、涙ぐましい努力には頭が下がった。 メニューは、野菜のスープ、魚のフライ・サラダ添え、豚の煮込み、デザートにプリン、そしてもちろんワイン。 見るからに家庭料理という趣で、正直、見栄えは良くない。私は大した期待も抱かずに、一口食べた。そして驚いた。それまでスペインで食べた、どの料理よりも美味だったのである。別に味付けが凝っているわけではない。使われている調味料や香辛料は、塩・コショーのみだし、それも控えめだ。そこがいい。食材も、タマネギ、にんじん、トマト、サラダ菜など、これまた基本中の基本と言っていいようなものばかりだ。が、噛みしめると新鮮な素材そのものの風味が口いっぱいに広がる。「自然の滋味」とは、まさにこれを指すのだろう。 数時間過ごしたポルトガルでの、最大の収穫はこの食事だった。 この国、気に入ったわ・・・。 食後のコーヒーを飲みながら、しみじみ思う私であった。<完>(1996年夏) |