その夏、私はイタリアのミラノから、モンブランの向こう側のフランスのシャンベリーという町に行こうとしていた。1989年にシャモニーにモンブラン見物に行ったとき、雨のために、その雄姿のかけらすら見ることができなかったので、この際、ぜひリベンジしたいと思ったのである。 ちょうどその頃読んでいた紅山雪夫氏の本に「モンブランのエギーユ・デュ・ミディ峰は、イタリア側からの姿の方が、フランス側からよりも、数倍美しい」と書いてあり、イタリア側からロープウェイでモンブランに登り、フランス側に降りるというコースが説明されていた。これだ!これをやってみよう。
ミラノ中央駅のバルに開店と同時に入り、カプチーノとブリオッシュで朝食をすませてから、地下鉄に乗ってカステロ広場へ。 AUTOSTRADALEというバス会社を目指す。昨日切符を買ったとき、バスはこの会社の前に来ると言われたのだ。それにしても、バスはあっちにもこっちにもいる。日本だったら、行き先ごとに違う番号のふられた停留所があるところなのに、ここには何も無い。心配になって、そばにいる女性に尋ねると「大丈夫。ここに来るのよ」と自信に満ちたお答え。彼女を信じて待っていると、確かにやってきた。7時発の予定が、7時10分に出発。まあ、この程度の遅れは遅れのうちには入らない。ここはイタリアなのだから。 ミラノを出て1時間もすると、はるか前方にアルプスの山々が見えてきた。そしてさらに1時間後、バスは小さな町に停まった。アオスタだった。ガイドブックには所要3時間とあったのに、1時間も早く着いてしまった。あっけなくて調子が狂う。 バスを降りた瞬間、山の空気が身体を包み込んだ。大きく息を吸い込むと、ミラノは完全に過去のものになった。 |
いくらフランス語が通じるとはいえ、市庁舎の正面に「HOTEL DE VILLE」(=市庁舎)とフランス語で大きく書かれていたのには驚いてしまった。 その建物の一角にあるインフォメで、ホテルの手配を頼む。「シーズン中でも、早めに着けば宿はとれる」とガイドブックに書いてあったからだ。今は9時半。これこそまさに「早め」である。
ところが返ってきた答えは「コンプレート(満室です)」の一言だった。
とりあえず、シャモニーへの行き方だけは教わり、インフォメを出た。自分でも数軒の宿をあたってみたが、ほんとうにどれもコンプレートだった。
以前行ったシャモニーの町の風景が脳裏によみがえる。ホテルやレストランがそこかしこにある、ごみごみした町。へたくそな漢字で書かれた「両替」の看板。あの町ならすべてのホテルが満室になることはあるまい。
公衆電話からシャンベリーに連絡をとってみたら、運良く知人は自宅にいた。 |