ルルド---これはカトリック信者にとって、特別の意味を持つ場所であるという。ピレネー山脈のフランス側の麓にある町なのだが、ほんの150年ほど前までは、どこにもある小さな村にすぎなかった。一躍その名を知られるようになったのは、1858年の2月、乙女ベルナデッタの前に聖母マリアが現れ(!)、そのお告げのとおりに、奇跡の泉が発見されてからのことである。 現在もまだその泉は枯れることなく、 世界中から奇跡を求めてやってくる人々が あとを絶たないという。 どんなところなのか、この目で見てみたいと、ずっと以前から思っていた。 ルルドでは毎日ミサが行われているが、 どうせ行くなら8月15日が一番らしい。この日は(終戦記念日しか知らなかった私にとって、大きな驚きだったのだが)カトリックでは聖母被昇天という重要な祝日で、ルルドで行われるミサのために、 世界中から巡礼者が集まってくるからである。 とは言っても、当日の朝にルルド入りするというのは、余裕がなさ過ぎる。 前日に到着してどっぷりその雰囲気に浸り、 気分を盛り上げておこうと考えた。 |
フランスアルプスにほど近いシャンベリーという町でのんびりした後、ルルドに行くという旅程を考えた。シャンベリーもルルドといった、どちらかというとマイナーな町を廻るとき、 トーマス・クックの時刻表はあまり役に立たない。 現地で問い合わせるのが一番確実な方法なのだ。 シャンベリー駅の窓口で、 「8月13日の夜にここを発って、14日の朝にルルドに着く直通列車はあるか」と尋ねると、「もちろんある」との答え。座って夜明かしするのはしんどいので、クシェット(簡易寝台)を予約した。 列車は23時頃発だった。窓を閉め切った客室はものすごく暑かったが、寝ている間に風邪でも引いてしまったら大変である。同室の人たちも同じ考えだったらしく、暑さにうだりながら一夜を過ごした。それでも横になれただけ、身体は楽だった。 翌朝早く、トイレに行くために廊下に出ると、空気はかなりひんやりしていた。だんだんピレネーの山々が迫ってきて、8時半過ぎ、列車はルルド駅に滑り込んだ。駅を出ると、目の前に数軒のホテルがあった。ここで宿を決めてしまうこともできるが、どうせなら奇跡の泉の近所のほうがいい。町の中心とおぼしき方向に向かって、歩き始めた。 町は朝もやに包まれ、ひっそりと静まりかえっている。とりあえず、第一印象は最高だ。
町に入ると、ホテルがずらりと軒を連ね、どれにしていいのか迷うほどだった。各ホテルの入り口に表示されている値段を見て、適当なところに入って「今日、部屋はありますか」と尋ねてみる。最初のホテルでは満室だと断られたが、次にあたった2つ星ホテルでは、小柄なかわいらしいおばあちゃんが出てきて「ありますよ」と言った。
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朝から何も食べていないので、まずは腹ごしらえをすることにした。 町に出て、適当なカフェに入り、カフェオレを注文する。昨夜、クシェットに乗る前に買い込んでおいたクッキーを、ギャルソンの目を盗んで食べる。 お腹が落ち着いたところで、 みんなが向かう方向に歩き出してみる。 店がずらりと並び、"ENGLISH SPOKEN"とか"MAN SPRICHT DEUTSCH"とか"SE HABLAR ESPANOL" といった表示が目につく。 さすがに全世界からの巡礼者を相手にしているだけのことはある。 けれども、パリなどでよく見られる 「日本語を話す店員がおります」はどこにもない。 一般ツアー客が来ないからなのだろう。 実際、この後、一日中歩き回ったのだが、 日本人にはせいぜい4、5人しか出会わなかった。 土産物屋はどれも似たりよったりで、売っているものといったら、十字架や聖母マリア像などのお祈り用品(?)ばかり。そして、大小のポリタンク。奇跡の水を汲んで入れるためである。 大量に持って帰ることができない人のために、 まるで弁当の醤油入れみたいな小型の容器も売っている。 歩きながら見ていくと、同じ容器でも、泉に近くなるにつれて、値段が高くなっていくのに気が付いた。聖地であっても普通の市場経済の原則が通用しているのである。 坂を下っていくと、教会があった。 中に入ってみると、意外なほど小さくて、 あてが外れたような気がした。 だが、本当の見どころは、教会内部ではなく、 教会前の広場だったのである。車いすに座った人々や、 キャスター付きのベッドに寝たきりの人々が、 ずらりと並び、拡声器から流れる司祭の説教に耳を傾けている。 教会の中に入れない人々もミサに預かれるように、という配慮がなされているわけだ。 話には聞いていたけれど、こうして実際に奇跡を求める人々の切実な姿を目の当たりにすると、 言葉を失ってしまう。 これがルルドなのだ。
教会の裏手に廻り、さらに川辺におりる。
この町に来たからには、何はともあれ、奇跡の水を汲んで帰らなければならないのだが、はてさて、
水汲み場はどこなのだろう? うろうろとさまよい歩いていったら、行列ができていた。
聖女ベルナデッタが聖母マリアを見たという洞窟に入るための行列である。
行列のそばには係員(とは言っても神父さんである)がいて、時折りおごそかな声で さんざん待たされたあげく、ようやく洞窟にたどり着いた。洞窟と言っても、ちょっとした岩の窪みくらいにしか見えないが、 私の前にいたおばさんは、それはそれは熱心に長いこと祈り、 最後には岩に口づけしていた。 私はそのあとについて、神父さんのご指示通り、 湿った岩肌に一度だけ手を触れた。 でも、心をこめて祈ったかどうかは、 よくわからない。 |