「乗船したよ、船長。」と、ピーター・ダックがいった。
-----アーサー・ランサム作「ヤマネコ号の冒険」より
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8月4日。 今日もどんよりとした曇り空。 7時半に起き出し、1人で艇庫まで下りてみた。 下る途中で、雨がぽつり。 石の上に乗せた足がつるりと滑った。危ない、危ない。 カンチェンジュンガで同じことがあったら、 怪我をするかもしれない。 今日も登山はできそうもない。
艇庫の脇にいたのはほんのわずかの間、おそらく3、4分、せいぜい5分かそこらだっただろう。この5分はしかし、私にとってかけがえのないものだった。このとき初めて、目の前にある湖が「私だけのもの」になったからである。
おとといの夕方、BGFに着いたとき、私は丘の上から湖を見下ろした。
昨日は4時間もの間、湖上にいた。にも関わらず、
湖はまだ「私のもの」にはなっていなかった。
「私たちのもの」にはなったかもしれないが。
それというのも、たった1人で湖に向き合う場面がなかったからである。
ランサム・サガを心から愛する仲間たちと北部の湖を訪れ、感動をともにすることができるのは、これ以上望みようがないほどの幸運である。
それでもなおかつ、1人きりになって浸る時間が、私には必要だった。湖を「私だけのもの」にするために。どうやら私は、相当欲張りの人間であるらしい。
昨日と同じテーブルで朝食をとっていると、ロバートさんも昨日と同じテーブルにやってきた。 ここの食堂は、もともと2部屋だったのを、ひとつながりに改装したもので、部屋の間の壁が残っていて、その向こう側にいる人たちは見えないのだが、 ときおり、日本語が聞こえてくる。 どんな人たちなんだろう?
朝食を済ませた人たちが、私たちのテーブルの脇を通った。日本人だ。ロバートさんに挨拶している。すかさずTitmouseさんが話しかけた。
ものすごい入れ込みようだ。彼と比べたら、私たちなんかひよっこ同然。こんな熱いランサマイトと、このまま別れるわけにはいかない。
Titmouseさんも同じことを思ったのだろう。彼女は思い切りよく、ど真ん中に直球をほうりこんだ。
このようにして、FさんすなわちWild Gybeさんの、ヤマネコ号、もとい、ARC号への乗船が決定したのだった。 |
■2004年8月上旬にBGFの1号室に宿泊していたお母様へ■
今回は、
せっかく「もう知り合った」をする、またとないチャンスだったのに、それを生かせなかったことを、私たちは今も悔やんでいます。
Wild Gybeさんのように、一緒にお喋りして、感動を分かち合えたら、どんなに嬉しかったことでしょう。
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「一ついいことは、あなた方が、とにかく屋根の下にいらっしゃることです」
-----アーサー・ランサム作「スカラブ号の夏休み」より
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出かける頃には、雨は本降りになっていた。たとえ山岳部OBのWild Gybeさんであっても、今日カンチェンジュンガに登ることはためらうだろう。 ましてや、軟弱な私たちに登れるはずがない。 そこで、予定を変更し、犬小屋探索から始めることにした。 ランサマイト用ガイドブック"Footsteps"に従い、湖を右手に見ながら南下する。 聞いたところによると、犬小屋はとても見つけにくいらしい。 発見できずにむなしく帰ってきた友人が何人もいるし、 発見できた人たちの話を聞くと、「それは私が見つけた犬小屋とは違う」という声もあり、 「犬小屋は複数存在する」という説を提唱する人さえあり、 はたまた「犬小屋は移動するのか?」などという、 超常現象的議論まで飛び出しているのである。 こんな雨の中で道に迷ったらいやだなあ・・・という私の気持ちを見透かすかのように、 Titmouseさんが、何枚かの紙切れを見せてくれた。 それは友人たちが書いた、数々の「犬小屋の行き方」のプリントアウトだった。 さすがっ!
「いちばん簡単な行き方にしましょう」
犬小屋のそばには渓流が流れていて、洗いものを置いておくのにぴったりな場所もあった。 窓から覗いてみると、中は真っ暗である。今まで犬小屋を見つけた人たちが、 口を揃えて「テントのほうがずっといい」と言っていたが、 ほんとうにそんな感じで、中に入るのに勇気が要る。 思い切ってドアを開け、一歩中に入ってみる。 目が暗さに慣れてくると、なかなかどうして、これはけっこう居心地が良い。 ディックが屋根の穴をふさいでおいてくれたお陰で、土の床はきれいに乾いていて、 外の雨が嘘のようである。 入って右側にある暖炉で火をたいて、うさぎのシチューを作ったら、もうこれはどこから見てもピクト人の城。 「こんなことしていいのですかねえ」と渋るコックのばあやに、 「キャンプとは違うわ」と言い切ったナンシイは正しかったのである。 私たちはここで、 「『スカラブ号』のなりきり写真」を撮って遊んだ。 まず、サガを読み始めて以来、ナンシイ気分にどっぷり浸っている岬ちゃんに、 「たずねてきたアザラシ」役を演じてもらった。 次は、 私がドロシア、Titmouseさんがディックに扮して、「暖炉を相手に奮闘するDきょうだい」の図(←これは挿絵にはない、私たちのオリジナルである)。 最後に外に出て、「ナンシイがDきょうだいに犬小屋を見せる」の図。
なぜこういうキャスティングになったのかというと、イギリスに着いて間もなく、岬ちゃんのご指名でゆきみさんがペギイになってしまったからである。それ以来、岬ちゃんはゆきみさんに日に日になつき、ことあるごとに、迫力のある「行くぞ、野郎ども」ではなく、ナンシイらしからぬ甘え声で「ペギイ、行こ」とゆきみさんを引っ張り回すようになっていた。 小柄な岬ちゃんと、首を傾げながらも「はいはい」とついていく大柄なゆきみさんは、究極の凸凹コンビ。傍で見ていると、申し訳ないけれど、おかしくてしょうがない。
あるとき、私がいつものように声を出さずにお腹を抱えて笑っていると、ゆきみさんがやってきて、小声でこう言った。 ほどなく、「ペギイ、行こ」が「ペギイ、おいで」に変わると、ゆきみさんは「わんわん」と鳴き出しかねない勢いで、岬ちゃんのもとに駆け寄るようになった。(そして、私の目の前で実際に鳴いてみせてくれた!) さらにある日の食事時、「ペギイ、このトマト食べていいよ」と言われるに及んで、
ゆきみさんはしみじみ告白した。 かねてより私は、ゆきみさんのことを、重度のネタ体質と睨んでいたのだが、この旅を通じて、「ネタ大明神」であると 確信するに至ったのであった。 |
その船は、船体が長ぼそく、船室の屋根が高くて、船室の横腹には、ガラス窓が一列にならんでいた。船首は昔の快速帆船のようだし、船尾は蒸気船に似ている。
-----アーサー・ランサム作「ツバメ号とアマゾン号」より
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車に戻り、南下を続ける。 イグルーを軽く確認し、 スウェンソン農場の脇を通り、アマゾン川へ。 橋を渡るとき、サイクリングをする親子連れが向こうから来た。 子どものほうは10歳ぐらいだろうか。 私は恐れ入った。 こんなに雨がざんざん降っている中、 子どもをサイクリングに連れ出すなんて。 そんな親は、 日本にはまずいないだろう。 もちろんフード付きの防水ジャケットでしっかり身を固めてはいるが。 子どもたちを鍛え上げるウォーカー家の伝統は、 現在のイギリスにも、まだ脈々と生きている。
馬蹄湾の脇を通り、ヤマネコ島を対岸から眺めた後、道はしばし湖岸から遠ざかる。 この道からの眺めは、肉眼で見ると絶景なのだが、 カメラを構えてみると、なんてことない平凡な風景になってしまう。 しばらく行くと、一軒家のパブがあったので、 ここでお昼にすることにした。 このパブにはいろいろなサンドイッチがあったので、 ゆきみさんがクリームチーズとパイナップルのサンド、TitmouseさんがBLTサンド、私がバナナと蜂蜜のサンドを選び、みんなで味見をしあいながら食べた。 バナナと蜂蜜のサンドは、個人的に大ヒットだった。(もしもこの旅行記を書いていなかったら、 単独ネタとして「味な思い出」にアップするところだ。) 今でもときどき作って食べることがある。残念ながら、日本のスーパーで買う蜂蜜は風味がいまいちで、あの時のほど美味しいものにはならないのだが、 それでも、このサンドイッチはお薦めである。 だまされたと思って、ぜひ一度おためしを。
コニストン村に着いたのは、3時少し前だった。 インフォメを覗いてから、ATMでお金をおろそうとしたら、 村にある唯一のATMが故障していて、「アンブルサイドに行け」と言われてしまった。 もとより、今日は蒸気船博物館を再訪する予定だったので、それはかまわなかったのだが、 私たちのように車ならともかく、 公共の交通機関で田舎を旅していたら、 身近なATMの故障は痛いだろう。
こうして私たちは一路アンブルサイドを目指した・・・と言いたいところなのだが、
コニストン村のネットカフェにふらふらと入ってしまった私が、
みんなを20分以上待たせることになった。
はっと時計を見ると、もう3時半。
運転手のゆきみさんが、すっかり湖水地方のプロになっていたのが幸いだった。
彼女は慣れた道をびゅんびゅん飛ばし、アンブルサイドに15分で着き、3時56分に
蒸気船博物館にたどり着いた。
門のところで、「エスペランス号の内部はまだ見ることができるか」
と訪ねると、「博物館に行って訊け」と言われた。
Titmouseさんが車から下り、博物館のショップに走り、間もなく出てきて、両腕で「マル」のジェスチャーをした。 急ぎ足で行くと、イギリス人にしては小柄なおじいさんが待っていて、すぐに屋形船に案内してくれた。 船室内にはテーブルが置かれ、その上にはケーキ(もちろん本物ではない)が並んでいた。ちょうどフリント船長が、探検家たちのためのパーティーの準備をしたところであると見た。 それにしても狭い。 ガイドのおじいさんと私たちの5人で一杯だ。 いくら探検家や海賊たちが子どもであるからと言って、ここに6人+フリント船長が入り、アコーディオンに合わせて足を踏みならしたりなんてことが、できるのだろうか? さらにはDきょうだいが加わったのだ。着ぶくれしている冬は、8人が脱いだ外套だけで相当場所を取ったのではないだろうか。
などといった突っ込みは、し始めたらきりがない。 私たちは、ガイドのおじいさんの説明を聞きながら、船内をくまなく見て廻った。 このおじいさんは、当然のことながら、ランサムの大ファンであり、ほんとうに嬉しそうに説明してくれるのだが、訛りが強くて、ほとんど聞き取れないのが残念だった。せいぜいジャパニーズスマイルをふりまいて、わかったふりをするのが精一杯の私たちだった。
フリント船長のトランクやタイプライター、はたまた大砲など、
興味深いアイテムばかりだったが、
私にとっての一番のツボは「黒丸」だった。今まで、どういうわけか、
もっとずっと大きい丸なのだろうと思いこんでいたのである。 屋形船を堪能し、 アンブルサイドに戻ると5時になっていた。 ATMを見つけてお金をおろし、 土産物屋やブティックをひやかして歩きまわった。 さて、そろそろ夕ご飯の時間である。 コニストンに比べると、アンブルサイドは大都会で、食事どころとしては、パブ以外にも選択肢がいろいろある。 岬ちゃんのリクエストを訊くと「カレー」という答えが返ってきた。 よしよし、パブ飯よりずっといいわ。 適当に歩き回っていると、Titmouseさんが遙か前方を指さした。確かにそれらしき店がある。近づいてみると、まさしくインド料理店だった。 さすが、お母さんは子どもの望むものをすぐに見つけるものだなあと感心したら、 この店が掲げている象の旗が、屋形船を見た直後だったせいか、妙に目についたのだそうだ。 4人で食べる最後のディナーは、 タンドリーチキンとラムカレーと野菜カレーとなった。タウィンで食べたカレーとは違い、 きちんと辛くてとても美味しい。 私はやっぱりパブ飯よりもこちらのほうが好きだ。
帰宅したのは9時だった。雨は完全に上がった。 雨中行軍をしたせいで、ぐっしょり濡れた靴を、 部屋備え付けのドライヤーで乾かしながら、 明日のことをあれこれ考える。 もともと、最終日はケンダルのアボットホールの見学などをするつもりだったのだが、 アボットホールとカンチェンジュンガの、どちらが重要かと言ったら、間違いなくカンチェンジュンガである。 天気は回復傾向にあるようだし、明日こそ登れるかも。でも、明日は、夕方にはマンチェスターに着いていなくてはならないのだ。 エールフランスの夜便を選んだのは、最後の日までフルに使えるのがメリットだと思ったからなのだが、こんなふうに使うことになるなんて、想像もしていなかった。 ハードな1日になるかもしれないなぁ。 でも、ここで頑張らなくてどうする。 |