ティティは窒息するかと思うほど長く息をのんだ。そして
「あ、あれは……」と、いった。 小さな船のマストのてっぺんで、風にはためいている旗には、黒地に白く、どくろとぶっちがいの骨がかいてあった。
-----アーサー・ランサム作「ツバメ号とアマゾン号」より
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8月3日。目が覚めたとたん、カーテンを開けて空を見上げる。雨こそ降ってはいないものの、どんよりと曇っていて、カンチェンジュンガの頂は相変わらず灰色の霧に覆われている。 あ〜あ。ため息をつきながら窓の外を見ていると、ツバメがやけにたくさん飛んでいることに気が付いた。しかも、私たちの部屋の窓のすぐ外に、ひっきりなしにやって来る。軒先に巣があるのだ。 今まで「ツバメ号」の名前の由来など、考えたことがなかったが、どうやら湖水地方の夏はツバメの天下らしい。 視線を下に移すと、Titmouseさんがすでに起き出していて、精力的に探険しているのが見て取れた。 7時半になったので起き出し、身支度を終えた8時にゆきみさんを起こす。もうだれだっておきてる時間だわよ。
ほどなくドアがノックされ、岬ちゃんが入ってきて、私たちのベッドでごろごろし始めた。
そこに、
早朝の探険から戻ったTitmouseさんもやってきて、開口一番、こう言った。
昨夜すでに、 私とゆきみさんの部屋の隣りに日本人が滞在していることがわかっていた。それ以外にも、もう一家族、日本人が滞在しているようだ。 みんなランサマイトなのだろうか? 8時半に朝食。いかにもB&Bらしい、豪勢な朝食だが、今回の旅ではいちばん質素なものだった。それでもお腹が十二分にいっぱいになるという点では変わりない。 私たちに少し遅れて、初老のイギリス人男性が朝食にやってきて、そばのテーブルについた。 その人が誰あろう、 例の車の持ち主であり、 世界中のランサム・サガのコレクションで知られるロバート・トンプソンさんだった。) ロバートさんは日本に来たことがあり、その時、ARC(アーサー・ランサム・クラブ)は「ディックのフラッシュの会」という歓迎イベントを開催したのだった。ロバートさんが見せてくれたその時の写真には、Titmouseさんを始めとする、よく知った会員たちの顔が並んでいた。
ロバートさんは一夏ずっとここに滞在しているのだという。まさにランサマイト憧れの生活だと言えよう。しかも、朝食こそここで他の客と一緒にとっているが、 寝るのはBGFの庭に張った、自前のテントの中なのだそうだ。 でも、もしもあなたが日本からテントを抱えていって、「朝食代だけ払うから、そこにテントを張らせてくれ」と頼んでも、「ノー」と言われることは必至なので、くれぐれも真似しないように。 こんなことが通るのは、ロバートさんだけなのだから。 朝食後、ロバートさんとの記念撮影を済ませ、10時、コニストン村へ出発。
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わたしはいま、かごのオウムやリュックサックや貯蔵食糧をつんだツバメ号にすわって、ダリエンの頂上をふりかえっている。
はじめてヤマネコ島を見たのは去年あそこへのぼったときだったわ。そこで、ティティは湖の南方に目をやってヤマネコ島そのものを見た。
-----アーサー・ランサム作「ツバメの谷」より
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今にも泣き出しそうな空の下、カンチェンジュンガ登頂を断念した私たちは、(土人がピール島と呼んでいる)ヤマネコ島に行くことにした。 今日は火曜日で、週1回の「ランサム・クルーズ」がある日なのだが、私たちはどうせなら島に上陸してみたかったので、モーターボートを借り、自力で行くことにした。ヨットで行けたら最高なのだが、メンバーの中に帆走できる人が誰もいないのだから、しかたがない。 10時半、 コニストン村に到着。冬はただで停められたパーキングが、有料になっていた。冬に来たときとはうって変わり、 船着き場は、観光客で賑わっていた。 日本人の姿も目につく。一瞬、「こんなにランサマイトが来ているとは!」と感動しかけたが、よく考えてみれば、そのほとんどが、単に「せっかく湖水地方に来たのだから、ウィンダミアやグラスミア以外の湖も見てみよう」と思った土人に過ぎないのである。 そして、 冬はあんなにいて「ぐわっ、ぐわっ」と鳴いていたアヒルが、なぜか全然いない。 いるのは鳴かない鴨だけである。
モーターボートは屋根のついてないタイプにした。 そのほうが安かったからである。とは言っても、 4時間で45ポンドというのは、割り勘だからいいものの、決して安い値段ではない。 (結果的に、屋根無しにして良かった。そのほうが、爽やかな風を直接顔に受けることができるのである。) いよいよ湖に乗り出す。 ハンドルを握るのは、 いつものように、ゆきみさん。でも走り始めたらすぐに、湖をモーターボートで走るのは、道を車で走るよりも、ずっと易しいのだということがわかった。いくら コニストンが細長いとはいっても、その幅は道路の幅の何十倍もあるのだから。 というわけで、私たちは代わる代わるハンドルを握り、ちょっぴりだけ航海士(操舵士?)気分を味わった。こうやって自力で湖上を走ってみると、湖の広さがよくわかる。 「ツバメ号とアマゾン号」に 「小さな海ほども大きい」と書いてあったことが思い出される。 やがて、目指すヤマネコ島が見えてきた。 冬に来たとき、目と鼻の先に見えていながら、上陸できなかった島に、今日こそ上陸できるのだと思うと、感無量である。 ところが、今日のヤマネコ島には、土人たちが上陸していた。それもたくさん、うじゃうじゃと。 わたしたちの島なのに。
しかたがないので、先に湖の南端まで行ってみることにした。 馬蹄湾のあたりまで行くと、冬に来たときと同じように、詩情溢れる風景が広がっていた。 リチャードがいないティーゼル号のような、屋根にカバーをかけて停泊しているヨットが見られた。 そろそろいいかな、と思ってヤマネコ島に戻ると、土人たちはいなくなるどころか、次々と本土からやってくる。カヌー教室の生徒たちなのである。 こんな寒々しい天気なのに、喜々として水と戯れているイギリス人というのは、つくづく物好きな人たちだと思う。でも、サガの子どもたちだって、それと同類なのである。
いつまでたっても土人が湧いて出てくる。ついに私たちは観念して、上陸することにした。 島の南側に長く突き出た左の岩の奥には、カヌーやボートが入っているため、私たちのモーターボートは入っていけない。そこで、右側の岩に生えている木にもやい綱を結び、そこでモーターボートから下り、岩づたいに歩いて上陸することにした。 港の奥にボートを入れるわけではないが、 港の外にも、水中にひそんでいる岩はたくさんあり、 それらを避けるために、かなりの神経を使った。 ボートから下りるときに靴を脱ぎ、上陸するには、最後の最後に水の中を歩かなければならなかったが、これは港の奥にボートで入れた場合も同じことである。 今朝、出かける間際にタオルを持ってくることを思いついてほんとうによかった。私は密かに自分自身を誉めた。 もっとも、代わり(?)にカメラを忘れてきてしまったのだった。それに気づいたとき、私は自分の愚かさを呪った。 でも、それは他の人たちに写真を撮ってもらえば済むことだ、とすぐに気を取り直した。(このページの写真のほとんどが、Titmouseさんとゆきみさんのものなのは、こういうわけである。)
緊張の上陸の後、キャンプ地、そして上陸地など、島中をぐるぐる廻って探険した。そして、数年前にビデオで観た、 BBCのドラマ「ツバメ号とアマゾン号」のとおりであることを、淡々と確認している自分を発見した。あれえ、おっかしいなあ、もっと興奮すると思っていたのに。 小腹が空いたので、島の西側の岩場に座り、湖を眺めながら、アべルダヴィで買ってきたウェールズ名物「バラブリス」を食べた。ほんのり甘くて、もそもそしたお菓子だった。 そして、私たちは島にメッセージを残した。どこにどんなふうに残したかは内緒。 ピール島は確かに ヤマネコ島のモデルなのだろう。 ウィダミアのなんとかという島もモデルの候補らしいが、どちらか1つをモデルとして挙げろと言われたら、間違いなくピール島である。(もう1つの島に行ったことがない私に、そんなことを言う資格は無いのだが。) なによりあの港、あれはこの世の奇跡ではないかと思う。 でも、ピール島はヤマネコ島ではない。 ピール島はあくまでも素材なのである。 ヤマネコ島をあそこまで魅力的にしたもの、それはまさに ランサムの想像力だったのだ。 ヤマネコ島は作品の中にしか無い。 コニストンの船着き場に戻ったのは2時半を過ぎていた。モーターボートを4時間借りたのは正解だった。 |
そこは、ディックとドロシアが、いっさい何も見えないはげしい吹雪の中で、帆を張ったそりを走らせて一番に北極に到着したとき、一度いっただけの場所だった。
-----アーサー・ランサム作「スカラブ号の夏休み」より
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こんな時間になってもお腹が空かない。原因はさっき食べたバラブリスだ。食べるときから、こうなることは十分予想がついていたのだが、ヤマネコ島で何かを食べるというチャンスは、 おそらく生涯に2度とないだろうと思ったのである。 他の人たちはまともな胃袋をしているので、ここで遅めのお昼ということになった。 船着き場の前の"Bluebird Cafe"で、 サンドイッチなどを元気に食べるみんなを後目に、ホームメイドスープをとる。 スープとは言っても、こってりしたポタージュなので、これはこれでけっこう重い。 でも味は良い。イギリスで一番美味しいものは、もしかしたら、スープなんじゃないだろうか・・・。
あっという間に3時半になってしまったので、大急ぎでSteamboats Museumに向かう。この博物館のオープンは1977年か78年ぐらいらしいので、私が77年に初めてウィンダミアに来たときは、まだおそらくこの世に存在していなかった。 (すでに存在していたとしても、 そのことを知るすべは、当時の私にはなかった。) 2回目は冬だったので閉館中だった。 というわけで、湖水地方3回目にして、 初めての入館ということになる。 駐車場の入口で入館料を払い、建物に近づくと、壁に"Swallows and Amazons"と書かれ、赤い帽子をかぶった2人の少女の乗った白い帆のヨットの絵が描かれていた。素晴らしい。それにしても、ここは一応「蒸気船博物館」なのである。普通の人が見たら、「どうしてヨットの絵が?」と奇異に思うのではないだろうか。・・・それとも、ここには普通の人は来ないのだろうか?
館内では、赤い帆のスカラブ号が私たちを迎えてくれた。その前で記念写真を撮り、ランサムの年譜を眺め、ショップに行き、「2冊買うと1冊はただ!」という表示のそばに並べられたランサム・サガのペーパーバックを手に取ったり、
どくろと骨のぶっちがいの付いた帽子を岬ちゃんがTitmouseさんにおねだりしている様子を見守ったりと、かなりのんびり過ごしてから、ショップの女性に、
「屋形船の内部を見たい」と申し出た。
すると、返ってきた答えは 屋形船はまた次の機会に見ることにして、 リオに向かった。ATMでキャッシングし、 「冬休み」のときに、北極の場所を教えてくれたランサマイトのお店を探そうと思っていたら、 探すまでもなく、すぐに見つかった。 今度こそ店の名前を確認しようと思ったのだが、看板が無い。きょろきょろ見まわすと、ショーウィンドウの上にさしかけられたひさしに、"Past and Present"と控えめに書かれてあった。
店に入る。今日はご主人はいないようだ。 私たちは、店の大きな部分を占めるぬいぐるみの人形には目もくれず、片隅に置かれた本棚に並ぶ、サガのハードカバーを手に取り、ぱらぱらめくり、また本棚に戻した。 「冬休み」のときに見たとおり、 朗読カセットも揃っている。 ここのほうが、蒸気船博物館のショップよりも安いので、がぜん欲しくなってしまった。 買うんだったら「海出る」かしら。でも、どうしようかなぁ・・・。
悩む私の背中を押したのはゆきみさんだった。
通りに出ると、今までずっと こらえにこらえていた空が、ついに泣き出したところだった。 明日は雨だろうか。でも晴れて欲しい。 カンチェンジュンガに登ったときのためにと、 祈るような気持ちで、スーパーでりんごとパウンドケーキと水を買った。 この後はリオ湾に下った。 せっかくリオくんだりまで出てきたのだから、リオ湾を見ない手はない。防水外套を着込んでリオ湾の桟橋に立ち、雨にけぶるロング島を見た。 いくらイギリスの夏は日が長いとはいえ、雨が降れば夕方は早くくる。 私たちは急速に薄暗くなる中を、一路アンブルサイドに向かった。
今日のしめくくりは北極。
前回の「冬休み」組は雪中行軍を余儀なくされたのだが、今回は
雨の降りしきる中での北極探検である。
ゆきみさんと私は、
Titmouseさんと岬ちゃんが探検するのを静かに見守った。
2人の邪魔をしてはいけないし、だからと言って、北極に近づきすぎてもいけないというのは、案外難しいものである。つくづく思ったのだが、
北極というのは、場所を知っていても、けっこう見つかりにくいのである。
黙って見守っていたら、岬ちゃんがどんどん離れていってしまうので、
大慌てで駆け寄り、ヒントをささやいた。
これで岬ちゃんの歩く範囲が、いくらか狭まった。
やがて、
ゆきみさんから第2ヒントが出され、
ほどなく、岬ちゃんの動きが止まった。
夕食は 北極そばのパブで。 スモーク・サーモンのサラダとローストビーフはなかなかの美味だったようだ。「ようだ」というのは、胃が動いていない私には、 味がよくわからなかったからである。。。
8時半に帰宅。シャワーを浴びてから、
ラウンジに降りてみると、
ロバートさんがソファーでくつろいでいた。どうやら
彼はここの「主」らしい。
岬ちゃんは「ツバメ号の伝書バト」の最後の章を読みふけっている。Titmouseさんと一緒に
テーブルに置かれた宿泊者ノートを見ると、
今までに実に
たくさんの日本人が宿泊してきたことがわかる。
その多くは私たちの友人・知人であるが、知らない人も少なくない。 ほんとうに。そうすれば、日本でも一緒に遊べるのに。 |